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盛岡地方裁判所 昭和25年(行)13号 判決 1955年8月29日

原告 久保田兼松 外一名

被告 岩手県知事

主文

被告知事が昭和二十四年十一月一日附岩手わ第八八一号買収令書をもつて別紙第一目録記載(1)の百七番田公簿反別一反一畝一歩買収令書の反別四反五畝歩についてなした買収処分および右同日附岩手わ第八八二号買収令書をもつて右第一目録記載(3)の六番字前谷地田五反一畝一歩のうち二反歩についてなした買収処分はいずれもこれを取り消す。

原告らその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの連帯負担とし、その一を被告の負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「原告兼松として、被告が昭和二十四年十一月一日附岩手わ第八八一号買収令書をもつて、別紙第一目録記載(1)(2)の各土地についてなした買収処分、および原告シヱとして、被告が同日附岩手わ第八八二号買収令書をもつて右第一目録記載(3)ないし(6)の各土地についてなした買収処分をいずれも取り消す、原告両名として、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求めその請求の原因として、

一、別紙第一目録記載(1)の土地は原告兼松、右第一目録記載(2)ないし(6)の各土地は原告シヱのそれぞれ所有の小作地であるところ、岩手県農地委員会は昭和二十四年六月二十一日当時の種市村農地委員会の権限を代行して昭和二十年十一月二十三日の基準時現在の事実に基き右第一目録記載(1)ないし(6)の各土地を旧自作農創設特別措置法(以下旧自創法と略称する)第三条第一項第三号に該当する農地として第十三期農地買収計画をたて、即日公告の上、昭和二十四年六月二十二日から同年七月一日まで書類を縦覧に供し、ついで被告知事が所定の承認手続を経て右第一目録記載(1)(2)の各土地については原告兼松あて同年十一月一日附岩手わ第八八一号買収令書、また右第一目録記載(3)ないし(6)の各土地については原告シヱあて同日附岩手わ第八八二号買収令書を発行し、前者は同年十二月二十日原告兼松に、また後者は同月二十四日原告シヱにそれぞれ交付して買収処分をした。

二、しかしながら前記各買収処分はつぎの点において違法である。

(一)  原告兼松あて買収令書による買収処分に対する同原告の主張理由

(1)  前記第一目録記載(1)の百七番の田地については、岩手県農地委員会が右百七番田四反五畝歩として買収計画をたて、被告知事がこれに基いて百七番田四反五畝歩として買収処分をした地域は、種市町第六十八地割百四番の土地の一部および同地割百三十七番の六の土地に該当し、百七番の田地ではない。買収対象農地の地番を誤つた違法がある。

(2)  右第一目録記載(2)の三十八番の二の土地は原告兼松が昭和十七年一月原告シヱに贈与したものであり、基準時当時原告シヱの所有に属し原告兼松の所有ではない。これを原告兼松所有として買収したのは買収対象農地の所有者を誤つた違法がある。

(3)  右第一目録記載(1)(2)の各土地については昭和二十年十一月二十三日の基準時から前記昭和二十四年六月二十一日の買収計画樹立の時までその小作人に変更のないのはもとより、その所有者ないし所有者の住所にもなんら変更がないのであるからいわゆる遡及買収の要件を欠いている。これを遡及買収した違法がある。

(4)  昭和二十年十一月二十三日の基準時当時原告兼松は右第一目録記載(1)の土地をも含む別紙第二目録記載(1)ないし(20)の各土地合計反別四町三反四畝二十三歩の農地を所有し、そのうち小作地は右第二目録記載(1)(5)(6)(20)の各土地の合計一町九反二畝十二歩、自作地は同目録その余の各土地の合計二町四反二畝十一歩であるところ、

(イ) 右小作地中右第二目録記載(1)の土地のうち四反歩および同(5)の土地二反七畝二十一歩合計六反七畝二十一歩はすでに第三期農地買収により買収されているので同原告の残小作地は一町二反四畝二十一歩である。

(ロ) また右自作地中右第二目録記載(7)の土地のうち一畝歩、同(10)の土地のうち二畝二十七歩、同(11)の土地のうち二畝十七歩、同(12)の土地のうち二畝四歩はいずれも当時道路敷地となつており、また同(19)の土地四畝歩は当時荒蕪地となつているので、右道路敷地荒蕪地部分の合計一反二畝二十三歩を差し引けば同原告の残自作地は二町二反九畝十八歩である。

(ハ) したがつて前記残小作地のうち前記第一目録記載(1)(2)の各土地と同時に原告兼松所有の小作地として第十三期買収で買収された前記第二目録記載(20)の土地八反歩の買収について異議がないから、右八反歩をさらに差し引けば、同原告所有の残小作地は四反四畝二十一歩となり、前記第十三期遡及買収計画樹立当時における同原告の所有農地にして保有超過の有無の算定の基礎となし得るものは自作地二町二反九畝十八歩、小作地四反四畝二十一歩その合計二町七反四畝九歩にすぎないのであり、法定の保有限度以内である。これを保有限度を超過するものとしてなした違法がある。

(二)  原告シヱあて買収令書による買収処分に対する同原告の主張理由

(1)  前記第一目録記載(3)の六番字前谷地田五反一畝一歩のうち二反歩については岩手県農地委員会が右六番字前谷地田五反一畝一歩のうち二反歩として買収計画をたて、被告知事がこれに基いて右六番字前谷地田の一部の二反歩として買収処分をした地域は、種市町第五十八地割五番の一および同番の二の各土地に該当し六番字前谷地の田地ではない。買収対象農地の地番を誤つた違法がある。

(2)  前記基準時当時原告シヱは右第一目録記載(2)ないし(6)の各土地をも含む別紙第三目録記載(1)ないし(18)の各土地合計反別二町六反八畝二十歩の農地を所有し、右各土地は、原告シヱが昭和十七年一月訴外梅内康美と婚姻の際、父の原告兼松から嫁入財産として贈与を受けてその所有権を取得したものである。

右各土地のうち小作地は右第三目録記載(4)(5)(10)(15)ないし(18)および(6)の土地のうち二反歩の各土地で合計八反三畝二十四歩、自作地は同目録その余の各土地で合計一町八反四畝二十六歩であるところ、

(イ) 右小作地中右第三目録記載(9)の土地八畝十二歩のうち一畝二歩が当時道路敷地となつているので、右道路敷地部分を差し引けば原告シヱの残小作地は八反二畝二十二歩である。

(ロ) また右自作地中右第三目録記載(8)の土地二反七畝十一歩のうち三畝五歩が当時道路敷地に、また同(13)の土地五畝二十九歩が当時宅地になつているので、右道路敷地、宅地部分の合計九畝四歩を差し引けば同原告の残自作地は一町七反五畝二十二歩である。

(ハ) したがつて前記第十三期買収計画樹立当時における原告シヱの所有農地にして保有超過の有無の算定の基礎となし得るものは、自作地一町七反五畝二十二歩、小作地八反二畝二十二歩その合計二町五反八畝十四歩にすぎないのであり、法定の保有限度以内である。これを保有限度を超過するものとしてなした違法がある。

以上の理由により原告兼松は前記第一目録記載(1)(2)の各土地に対する買収処分の取消、また原告シヱは同目録記載(3)ないし(6)の各土地に対する買収処分の取消を求めるためそれぞれ本訴請求に及ぶと陳述し、

三、被告の答弁に対し、その主張の二の(一)の(4)、同(二)の(2)の各事実のうち原告兼松がもと別紙第四目録記載(1)ないし(6)の各土地を所有していたこと、右第四目録記載(1)ないし(5)の各土地が小作地で同(6)の土地が自作地であること、別紙第二目録記載(6)(第一目録記載(1))の百七番田地の公簿上反別が一反一畝一歩であること、および原告シヱが原告兼松の三女であることはいずれも認めるがその余の事実を否認する。

(1)  右被告主張二の(一)の(4)の(ロ)の主張に対し、

(イ)  右第四目録記載(1)の百六十二番の一山林四町五反五畝一歩のうち現況畑二反歩について、岩手県農地委員会が昭和二十三年十二月二十七日これを同地番内の他の林地の部分と合せて第八期未墾地買収計画をたて、ついで所定手続を経て被告知事が昭和二十四年九月二十日岩手を九第一八八号買収令書を発行し、原告兼松に交付して未墾地買収をしたのであるから、右土地は同年六月二十一日計画樹立の前記第十三期農地遡及買収計画において原告兼松の保有超過の有無の算定の基礎に加えることができない。

それのみでなく右土地が開墾されて農地となつたのは昭和二十年末であり基準時当時にはまだ農地ではなかつたのである。

(ロ)  右第四目録記載(2)の百六十一番の一の六山林十六町八反八畝十二歩は、原告シヱが昭和十七年一月原告兼松から贈与を受け昭和二十一年一月十二日所有権移転登記を経由したものであり、基準時当時原告兼松の所有ではない。

しかも岩手県農地委員会が昭和二十四年七月二十九日右土地を原告シヱの所有として未墾地買収計画をたて、ついで所定の手続を経て被告知事が昭和二十六年五月三十日岩手を九第二三一号買収令書を発行し同原告に交付して未墾地買収をしたのであるから、これを原告兼松の保有超過の有無の算定の基礎に加えることができない。

(ハ)  右第四目録記載(3)の百十三番地の二山林九十三町一反八畝十歩のうち当時現況畑となつているのは約一反一畝歩であり二反四畝歩ではない。

右畑地部分約一反一畝歩も、右九十三町一反八畝十歩のうち二十七町八反一畝十二歩の牧野部分の一部として岩手県農地委員会が昭和二十三年十月二日牧野買収計画をたて、ついで所定の手続を経て被告知事が昭和二十七年五月一日買収令書を発行し原告兼松に交付して牧野買収したのであるから、前記第十三期遡及買収計画において原告兼松の保有超過の有無の算定の基礎に加えることができない。

(ニ)  右第四目録記載(4)の百十四番山林中にはその主張の現況畑四反歩の部分が存在しない。

(ホ)  右第四目録記載(5)の三十八番の二字上川原原野一町二畝十二歩のうち現況田一反歩については、右三十八番の二の土地は前記第四目録記載(2)の土地などとともに原告シヱが昭和十七年一月原告兼松から贈与を受け、基準時当時原告兼松の所有でないから、原告兼松の保有超過の有無の算定の基礎に加えることができない。

(ヘ)  右第四目録記載(6)の九十七番畑九畝十八歩は、訴外久保田初太郎が大正十年頃原告兼松家から分家する際にその分家財産として贈与を受けた同訴外人所有の自作地であり、基準時当時原告兼松の所有でないから、前同様同原告の保有超過の有無の算定の基礎に加えることができない。

(2)  被告主張二の(一)の(4)の(ハ)の百七番田地の実測反別は二反十四歩であり、八反四畝十五歩ではない。

(3)  同二の(一)の(4)の(ホ)のように原告シヱが原告兼松と同居の事実はない。原告シヱは昭和十七年一月五日種市町第六十地割第二十九番地訴外梅内正英の三男梅内康美と婚姻し、それ以来右夫康美の生家で同人と同棲し、昭和二十一年頃から現在の住所地に居を構えて居住しておるのであり、基準時当時は夫康美の生家に居住し原告兼松と同居していたのではない。

と述べた。

(立証省略)

被告訴訟代理人は原告らの本件請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とするとの判決を求め、答弁として、

一、原告ら主張の一の事実のうち別紙第一目録記載(1)の土地が原告兼松所有の小作地であり、右第一目録記載(2)ないし(6)の各土地がいずれも小作地であることおよび右(1)ないし(6)の各土地について原告ら主張の第十三期遡及買収計画樹立からその主張の買収令書交付までの買収の手続に関する事実はこれを認めるが、右(2)ないし(6)の各土地が昭和二十年十一月二十三日の基準時当時原告シヱの所有であつたことは否認する。右(2)ないし(6)の各土地は基準時当時原告兼松の所有であり、右(3)ないし(6)の各土地が原告シヱの所有になつたのは昭和二十一年一月十二日である。

二、原告ら主張二の事実のうち(一)の(4)の冒頭事実右(4)の(イ)(ロ)の各事実別紙第二目録記載(20)の土地が別紙第一目録記載(1)(2)の各土地と同時に第十三期買収で買収されたこと、別紙第三目録記載(4)(5)(10)(15)ないし(18)および(6)の土地のうち二反歩の各土地合計八反三畝二十四歩が小作地で同目録記載その余の各土地合計一町八反四畝二十六歩が自作地であること、および同(二)の(2)の(イ)(ロ)の各事実はこれを認めるがその余の事実は否認する。

(一)  原告兼松の主張に対し、

(1)  原告ら主張二の(一)の(1)のように百七番田四反五畝歩の買収地域にその主張のような地番の誤がない。右買収地域は四囲の隣地番の状況からみて百七番田地に該当すること明らかである。

もつとも右百七番田地の実測反別は八反四畝十五歩でそのうち自作部分が一反三畝九歩、小作部分が七反一畝六歩である。右七反一畝六歩のうち四反五畝歩の部分を買収したのである。

(2)  前記二の(一)の(2)の三十八番の二の土地は基準時当時原告兼松の所有であり、原告シヱの所有になつたことがない。

(3)  右二の(一)の(3)のようにその主張の第一目録記載(1)(2)の各土地について基準時から買収計画樹立の時まで小作人の変更がなく所有者も所有者の住所にも変更がなかつたとしてもかならずしも遡及買収の要件を欠く違法あるものということができない。

(4)  基準時当時原告兼松は、

(イ) 原告ら主張の別紙第二目録記載(1)ないし(20)の各土地のみでなく別紙第三目録記載(1)ないし(18)の各土地をも所有していた。右第三目録記載(1)ないし(14)(16)(17)の各土地を原告兼松が原告シヱに譲渡したのは昭和二十一年一月十二日であり、右第三目録記載(15)の土地は従来原告兼松の所有であり、原告シヱに譲渡されたことがない。

(ロ) さらに別紙第四目録記載(1)ないし(6)の各土地をも所有していた。

右第四目録(1)ないし(6)の各土地の合計は一町五反三畝十八歩そのうち自作地は同(6)の土地九畝十八歩のみで、小作地はその余の一町四反四畝歩である。たゞし右(1)(2)の各土地は第八期買収で買収された。

(ハ) なお前記第二目録記載(6)(第一目録記載(1))の百七番の田地は公簿上反別が一反一畝一歩であるがその実測反別は前述のように四反五畝歩以上であり、右田地はとくに実測反別により買収したのであり、保有限度の算定においても右四反五畝歩の実測面積により得るのである。

(ニ) したがつて以上の事実に基いて通算すれば、基準時当時の原告兼松の所有の自作地は合計四町六反五畝二十七歩で小作地は合計五町二畝三歩であるところ、右自作地のうち道路敷地および荒蕪地の部分が合計一反七畝であるからこれを差し引けば残自作地は四町四反八畝二十七歩となり、また右小作地のうち第三期八期の各買収で買収された合計一町三反七畝二十一歩を差し引いても残小作地はなお三町六反四畝十二歩であり、第十三期買収計画樹立当時における原告兼松の所有農地にして保有超過の有無の算定の基礎となし得るものはなお右残自小作地合計八町一反三畝九歩に達し、法定の保有限度をはるかに超過するので、第十三期買収計画で別紙第一目録記載(1)ないし(6)の土地などを買収してもなんら同原告の保有限度を侵害していない。

(ホ) かりに前記第三目録記載(1)ないし(14)(16)(17)(18)の各土地が原告ら主張の日時原告兼松において原告シヱにこれを譲渡したものとしても、原告シヱは原告兼松の三女であり、基準時現在において原告兼松と同居しており同一世帯に属していた。

原告兼松には原告シヱの外長男耕一があるが同人は農業に従事し得ない事情により基準時以前より青森県の種差村に別居していたので、原告シヱに婿養子を迎え原告シヱ夫婦の働きにより原告兼松の家の農業を経営しようとしていたのであり、原告シヱが昭和二十二年以降表向き一家を構え原告兼松と別居していると称しているが、真実は昭和二十二年以降も同居しているのである。基準時現在はもちろん原告シヱの居宅もなく原告兼松と同居していた。

したがつて法定の保有超過の有無の算定にあたり、原告らの所有農地を合算し得るのであるから、結局計算関係においては前述のように原告兼松が一人で所有していた場合と同一であり保有限度を侵害する違法がない。

(二)  原告シヱの主張に対し、

(1)  原告ら主張二の(二)の(1)のように六番字前谷地田五反一畝一歩のうち二反歩の買収地域にその主張のような地番の誤がない。

(2)  基準時当時においては前記第三目録記載(1)ないし(18)の各土地は原告兼松の所有であり、原告シヱの所有ではない。右第三目録記載(1)ないし(14)(16)(17)(18)の各土地が原告シヱの所有になつたのは昭和二十一年一月十二日であること前述のとおりである。

かりに右第三目録記載(1)ないし(14)(16)(17)(18)の各土地が基準時当時原告シヱの所有としても基準当時原告シヱは原告兼松と同居し同一世帯に属していたのであるから、法定の保有超過の有無の算定にあたつては原告兼松の所有農地と合算することができ、結局原告兼松一人の所有の場合と異るところがない。

三、原告ら主張三の(1)の(イ)(ロ)(ハ)のその主張の買収手続に関する事実、別紙第四目録記載(6)の土地を訴外久保田初太郎が耕作していること、および原告シエが訴外梅内康美と婚姻したことは認めるがその余の事実を否認する。

以上の理由により原告らの本訴請求はいずれも失当であると陳述した。

(立証省略)

理由

原告ら主張一の別紙第一目録記載(1)ないし(6)の各土地についてその主張の第十三期遡及買収計画の樹立からその主張の買収令書の交付までの買収の手続に関する事実は当事者間に争いがない。

(一)  まず原告兼松の請求について。

右第一目録記載(1)の百七番の土地が原告兼松所有の小作地であること、同(2)の三十八番の二の土地が小作地であること、および原告シヱが原告兼松の三女であることは当事者間に争いがない。

(1)  原告主張(1)の右百七番の土地の地番違いの点について

成立に争いのない甲第十七、十八号証、乙第四号証、検証の結果によれば、訴外久保田初太郎の居宅が種市町第六十八地割百三十八番の十字嶽宅地百五十坪上にあること、右久保田初太郎の居宅を右検証調書添附の見取図表示の久保田初太郎宅として、右検証調書の見取図表示の被告知事が百七番田四反五畝として買収した地域を右甲第十八号証乙第四号証各図面表示の百七番と照合するときは、右買収地域が百七番に該当するものとは断じがたく、さらに、これに証人梅内康美の第二回の証言、鑑定人高橋長吉の鑑定の結果、被告の当初百七番の実測反別を四反五畝歩であると主張しながらその後これを八反四畝十五歩と主張している事実をかれこれ考え合せると、被告が百七番田四反五畝歩として買収した地域が百七番田地に該当するものでないことを窺うに十分である。右認定に反する証人上野留吉、上大沢清作の各証言部分は前記各証拠に照しにわかに採用できない。証人中森喜蔵、沢村初太郎の各証言によつても前同様右認定をくつがえし右買収地域が百七番田地に該当することを認めるに足らない。

しからば被告はこの点において買収対象農地を誤つた違法があるものといわなければならないから、右百七番田四反五畝歩についての原告兼松の本訴請求はその余の判断をまつまでもなく正当である。

(2)  同原告主張(2)の別紙第一目録記載(2)の三十八番の二の土地の所有者違いの点について。

甲第四号証によれば右三十八番の二および別紙第三目録記載(18)の各土地が原告シヱ名義の申請による昭和十六年度自作農創設未墾地開発事業計画により開田されたことを認められ、右各土地が当時原告シヱの所有であるかのようであるが、成立に争のない甲第一号証によれば原告シヱは当時数年十八年の少女にすぎないことが認められ、また原告シヱの主張によつても昭和十七年一月に原告シヱに贈与したと主張している事実を考え合せるときは、右甲第四号証によつても右各土地が基準時当時原告シヱの所有だつたことを認めるに足らない。また証人梅内康美の第一、二回証言によつても証人上大沢清作の証言などに照し当時原告シヱの所有だつたことを認めるに足らない。他にこの点に関する原告兼松の主張事実を認めるに足る証拠がない。この点の同原告の主張は失当である。

(3)  同原告主張(3)の遡及買収の要件を欠くとの点について。

旧自創法第六条の二第一項の規定によればいわゆる遡及買収には同原告主張の要件を要するかのような文言になつているが、右第六条の二は昭和二十二年法律第二百四十一号による改正法律により設けられたものであり、その趣旨は改正前の旧自創法附則第二項の趣旨を明らかにしたものとされている。ところで右附則第二項には「第三条第一項の規定による農地の買収については、市町村農地委員会は、相当と認めるときは、命令の定めるところにより、昭和二十年十一月二十三日現在における事実に基いて第六条の規定による農地買収計画を定めることができる」とのみあり、市町村農地委員会において相当と認めるときはいわゆる遡及買収ができ、これについてなんら改正法第六条の二第一項のような文言がない。

元来旧自創法の遡及買収の制度は、第一次農地改革後農地買収を逃れようとする地主側のいろんな脱法手段に対応し、耕作者の地位を安定させ、かつ当時の連合国軍の要望にこたえ急速に改革の成果を期する処置として採用されたのであり、第一次改革の発表された日の昭和二十年十一月二十三日を基準時とし右基準時現在において買収要件がある限り農地委員会が相当と認めるときはその時の事実に基き、その後の変更を無視して買収し所期の目的を達成することを企図したのである。

すなわち、遡及買収は地主側の策動に対応して耕作者の地位の安定を図り急速な改革の成果の実現を期するため基準時現在の事実に基いて買収し得ることを定めたのである。これにより地位の安定を図らうとしているのは基準時当時の耕作者である。このような基準時当時の耕作者にしてその後その耕作権を失つた者もその地位の安定を図られるとしたら、いぜん耕作権を失わない者も同様、いやさらに一層その地位の安定を図らるべきはとうぜんであろう。要するに基準時当時の耕作者はその後耕作権を失うと失わないとにかかわらずその地位の安定を図らるべきである。遡及買収制度はこの要請にこたえるものであるから、遡及買収制度の意図は基準時当時買収要件がある限り、その後の変更を無視して買収し得るものとなすところにあるものといわなければならない。

しかし法律は不遡及を原則とするから、買収計画時以前の過去の事実に基いて計画をたてるには法律上の根拠を要するので、前述のような要請に基く遡及買収のために前記附則第二項の規定が設けられたのであり、右附則第二項時代における遡及買収については基準時後の変更の有無を問わずとうぜんにこれをなし得るものとしなんらの問題もなかつたのである。しかし右附則第二項は前述のように市町村農地委員会が相当と認めるときは遡及買収できるとのみ規定し、条文が簡単であり運営上過誤がないとも保しがたかつたので、前記改正法第六条の二ないし第六条の五のような詳細な規定を設けたのであり、右改正前後の規定の異同は、附則第二項に「買収計画を定めることができる」とあつたのを、改正法第六条の二第一項で「請求したときは……買収計画を定めなければならない」また同法第六条の五第一項で「請求がない場合でも……買収計画を定めることができる」となつた点のことをしばらく措けば、その外は附則第二項が「相当と認めるとき」と簡単に規定していたのを改正法は第六条の二第二項に遡及買収のできない各場合を規定し、遡及買収の相当性の判定に関する消極的基準を詳細に指示し、運営に過りなからしめているのであり、この点において改正法は附則第二項の趣旨を明らかにしたものと解されていることは異論のないところであるが、なお改正法第六条の二第一項の基準時後の変更に関する部分もまた附則第二項にはとうぜんのこととしてとくに表示されていなかつたのを明らかにしたものと解するを相当とする。

なぜならば遡及買収の趣旨は元来前述のようなものであり、遡及買収にして許される限り、買収の相手方である農地所有者にとつては基準時後の変更のあることをその要件の一とし、変更のないときは許されないとすることはなんらの保障にもならないからである。あるいは改正法は従来の附則第二項の場合より遡及買収について慎重を期し、相当性の判定に関し消極的基準を詳細に指定すると同様の趣旨から、基準時後の変更のあることをとくにその要件の一とし、附則第二項の場合に比し遡及買収の要件を加重したものであるかのように解されないでもないが、しかし変更の有無の点が所有者にどのような影響があるかどうかの点を検討してみると、基準時後小作人、所有者および所有者の住所になんらの変更がないとすれば、これらの点についての買収要件に関する限り基準時におけるものと計画時におけるものとは同一であり、したがつて農地の所有者にとつてはそれらに変更がないとすれば、基準時の要件で買収されても計画時の要件で買収されても実質的にはなんらの差異がなく、基準時後の変更のあることを前提とし、その変更のない場合を除外することはその権利保障のため買収要件を加重することになり得ないのであり、右見解は失当である。

以上のように改正法第六条の二第一項の文言の趣旨は結局基準時当時買収要件があるときは、その後小作人、所有者、所有者の住所に変更があるときでも相当とするときは遡及買収をすることができるとの趣旨すなわち基準時当時買収要件があり、相当とするときは、そのような変更があるときでも遡及買収ができ、またそのような変更がないときは従来どおりもちろん遡及買収ができるとの趣旨と解するのを相当とする。

基準時後そのような変更がないとの理由のみで遡及買収の要件を欠くとの同原告の主張は失当である。

(4)  同原告主張(4)の保有限度を侵害したとの点について。

原告ら主張二の(一)の(4)の冒頭事実(基準時当時原告兼松が別紙第二目録記載(1)ないし(20)の各土地合計四町三反四畝二十三歩の農地を所有しそのうち小作地は右第二目録(1)(5)(6)(20)の各土地の合計一町九反二畝十二歩、自作地は同目録その余の各土地合計二町四反二畝十一歩であること)右(4)の(イ)(ロ)の各事実(右自小作地から第三期買収分道路敷地などを差し引くと残小作地は一町二反四畝二十一歩残自作地は二町二反九畝十八歩であること)右第二目録記載(20)の土地が別紙第一目録記載(1)(2)の各土地と同時に本件第十三期買収で買収されたこと基準時当時別紙第三目録記載(4)(5)(10)(15)ないし(18)および(6)の土地のうちの二反歩の各土地合計八反三畝二十四歩が小作地で同目録その余の各土地合計一町八反四畝二十六歩が自作地であること。同二の(二)の(2)の(イ)(ロ)の各事実(右自小作地から道路敷地宅地部分を差し引くと残小作地は八反二畝二十二歩、残自作地は一町七反五畝二十二歩であること)別紙第四目録記載(1)ないし(6)の各土地がもと原告兼松の所有地であること基準時当時右第四目録記載(1)ないし(5)の各現況農地部分が小作地であり同(6)の土地が自作地(所有者が原告兼松か訴外久保田初太郎かについては争いがある)であること、および原告ら主張三の(1)の(イ)(ロ)(ハ)の各買収手続に関する事実(右第四目録記載(1)(2)(3)の各土地についてその主張の日時買収計画がたてられ買収がなされたこと)はいずれも当事者間に争いがない。

それで原告兼松の保有超過の有無の算定について当事者間に争いのある点について審案するに、

(イ)  別紙第二目録記載(6)の土地の実測反別の点について、

右(6)の土地の公簿上の反別が一反一畝一歩であることは当事者間に争いがない。その実測反別を被告は八反四畝十五歩と主張し、原告らは二反十四歩と抗争するから、二反十四歩であることは当事者間に争いがないことに帰するが、それ以上被告主張のように八反四畝十五歩であるかどうかについては、この点に関する証人上野留吉、上大沢清作の各証言部分は前示(一)の(1)の認定の各証拠に照しにわかに採用できない。乙第一号証の二(種市村農地委員会長の本件被告訴訟代理人あて回答書)によればその実測反別が四反五畝歩であることの記載があるが証人中森喜蔵、沢村初太郎の各証言部分および前示(一)の(1)の認定の各証拠に照し右記載のみによつて被告主張のように四反五畝歩以上あることを認めるに足らない。他に被告主張のような実測反別であることを認めるに足る証拠がないから右(6)の土地の実測反別は二反十四歩と認めざるを得ない。

(ロ)  右第三目録記載の各土地の所有者について、

右第三目録記載(15)の土地は別紙第一目録記載(2)の土地と同一であり、右第三目録記載(15)および(18)の各土地の基準時当時の所有者については前示(一)の(2)において認定のとおりである。

右第三目録記載のその余の各土地について原告らは原告兼松が昭和十七年一月原告シヱに譲渡したと主張し、被告は右譲渡は昭和二十一年一月十二日であると抗争し、結局昭和二十一年一月十二日当時において原告シヱの所有に帰したことは当事者間に争がないこととなるが、さらに基準時当時においても同原告の所有であつたかどうかについては甲第七、八号証及昭和二十六年三月三日附種市村長の証明書によれば、原告シヱが同日同村長に対し、右第三目録記載(1)(2)(3)(5)ないし(9)(11)ないし(14)の各土地について保有農地面積もしくは道路敷などによる減少の証明願を提出し同日同村長が右事実を証明しており、右各土地が右証明当時原告シヱの所有であることが窺われ、また甲第九ないし第十二号証及昭和二十七年九月十一日附各登記簿抄本によれば右第三目録記載(4)(6)(16)(17)の各土地が右登記簿抄本作成当時原告シヱの所有であることが認められるが、右甲号各証によつても右各土地が基準時当時同原告の所有であることを認めるに足らない。また証人梅内康美、上大沢喜八の各証言(各第一、二回)によつても右事実を認めるに足らず、他にこれを認めるに足る証拠がない。

(ハ)  右第四目録記載(4)の百十四番山林のうち現況畑四反歩の有無について、

公証部分について成立に争いのない第三者作成の文書であるから全部真正に成立したものと認める乙第九号証によれば右(4)の百十四番山林のうち四反歩を訴外荒巻正一が昭和八年頃原告兼松から借り受けて開墾し、それ以来約定の小作料を支払つて小作していることが認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

(ニ)  右第四目録記載(6)の土地の所有者について、

右(6)の土地を訴外久保田初太郎が耕作していることは当事者間に争いがない。証人上大沢喜八の第二回証言によれば、右土地は右訴外久保田初太郎が三十年前分家に際し原告兼松から贈与を受けその後同訴外人が所有者として耕作している同訴外人の自作地であることを認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

はたしてそうだとすれば原告兼松の保有超過の有無の算定の基礎となり得るものは、

(I) 右第二目録記載(1)ないし(20)の各土地のうち小作地合計一町二反四畝二十一歩自作地合計二町二反九畝十八歩((6)の百七番田を公簿上の反別により計上)

(II) 右第三目録記載(1)ないし(18)の各土地のうち小作地合計八反二畝二十二歩、自作地合計一町七反五畝二十二歩

(III) 右第四目録記載(4)の百十四番山林のうち現況畑四反歩の小作地

右(I)(II)(III)通計小作地二町四反七畝十三歩、自作地四町四畝十歩、自小作地総計六町五反二畝二十三歩である。

しかして岩手県における旧自創法第三条第一項第二号による保有限度は一町一反歩、同項第三号による保有限度は三町四反歩であり、基準時当時における原告兼松所有の自作地が三町四反歩以上の計算となるから同原告所有の小作地は右旧自創法第三条第一項第三号により全部保有超過として買収し得べき計算関係となること明らかである。したがつて前示本件第十三期買収で買収された前記第一目録記載(1)ないし(6)および右第二目録記載(20)の各土地の合計は二町二反七畝十一歩((1)を四反五畝として計算)であり、前記(I)(II)(III)の小作地合計二町四反七畝十三歩から右第十三期買収分を差し引いてもなお二反二歩の保有超過分を残す計算関係となりこの点の同原告の主張は失当である。

(二)  つぎに原告シヱの請求について。

(1)  前記第三目録記載(1)ないし(18)の各土地の基準時当時の所有者が原告兼松であり、原告シヱではなかつたこと、および同目録(6)の土地すなわち前記第一目録記載(3)の土地が基準時当時前述のように原告兼松の所有であつたが、その後昭和二十一年一月十二日原告シヱの所有になつたことは前示(一)の(2)および(4)の(ロ)認定のとおりである。

(2)  右第一目録記載(3)(第三目録記載(6))の土地の地番違いの点について。

成立に争いのない乙第五号証、証人梅内康美の第二回の証言検証の結果に証人沢村初太郎の証言の一部を考え合せると、被告知事が右(3)の六番田五反一畝一歩のうち二反歩として買収した地域が右六番字前谷地の田地に該当せず同地割五番の一、二の田地に当ることが窺われ、右認定を左右するに足る証拠がない。

しからば被告はこの点において買収対象農地の地番を誤つた違法があるものといわなければならないから、右(3)の六番字前谷地田五反一畝一歩のうち二反歩についての原告シヱの本訴請求はその余の判断をまつまでもなく正当である。

(3)  同原告の保有限度を侵害したとの点について。

前記第三目録記載(1)ないし(18)の各土地が基準時当時原告兼松の所有農地であり、その自小作の別、および保有超過の有無の算定の基礎となし得べき部分が前示認定のとおりであるから、右各土地が基準時当時原告シヱの所有であることを前提とする同原告のこの点の主張は失当である。

なお成立に争いのない甲第一号証、証人梅内康美(第一回)梅内徳栄の各証言によれば、原告シヱが原告兼松の三女であるが原告兼松の長男耕一が早くから原告兼松と別居し種差で瓦を作つており、長女が十五、六年前八戸市に嫁し、次女も早くから同市鮫の祖父の所で婿を迎えて旅館を経営していること、当初シヱに婿を迎える話があつたこと、原告シヱと訴外梅内康美が昭和十七年一月結婚式を挙げ式後三日位で康美が入隊したこと、原告兼松方では兼松夫婦のみで働いていること、右梅内康美が復員したのは昭和二十二年であること、原告シヱが昭和二十四年十一月二十一日祖父若松の戸籍より入籍し、昭和二十五年一月二十日右梅内康美との婚姻届出をしていることが認められ、右事実を証人上野留吉、上大沢清作、門前善吉、野中福松および川尻寿吉の各証言に合せ考えれば基準時当時原告シヱが原告兼松と同居していたこと窺うに十分であるから、かりに原告シヱ主張のように右第三目録記載の各土地を同原告が贈与を受けていたものとしても、同一世帯における保有超過の有無の算定は同一世帯者の所有農地を合算して算定できるのであり、超過部分の算定においては原告兼松一人の所有の場合と異なるところがない。

よつて原告兼松の前記第一目録記載(1)の百七番田公簿反別一反一畝一歩買収令書の反別四反五畝歩についてなした前示買収処分および原告シヱの同目録(3)の六番字前谷地田五反一畝一歩のうち二反歩についてなした前示買収処分のそれぞれ取消を求める部分は正当であるからいずれもこれを認容し、原告らのその余の請求は失当であるからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条により主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 佐藤幸太郎 西沢八郎)

(目録省略)

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